●話を聞いた人
稲波紀明さん
1977年生まれ。弘前大学理学部物理学科、名古屋大学大学院素粒子宇宙物理学専攻(中退)で宇宙物理学を学んだ後、2002年、日本IBM入社。2005年、ヴァージン・ギャラクティック主催の世界初の宇宙旅行者100人に選ばれる。2012年、船井総合研究所入社。1000社以上のコンサルティングに従事した後、2022年 INAMI Space Laboratory株式会社設立。左足に義足を使用している。
なぜサラリーマンが宇宙の切符を手にしたか
2005年、ヴァージン・ギャラクティック社は宇宙旅行参加者を募集しました。全世界での枠は100人。日本ではクラブツーリズム・スペースツアーズから申し込むことができたので、気軽な気持ちで応募した、と稲波さんは振り返ります。
小学生のときにハレー彗星の再接近が話題になって以来、宇宙に興味を持ち、大学では宇宙物理学まで専攻したほど。ですが、ドクターの道は遠く険しく、エンジニアとして会社員生活を送っていたときのこと。日本人枠は当初1名。申込者多数のため、くじ引きが行われ最初の当選者が辞退したため、次点だった稲波さんが繰り上げ当選しました。
「当時、国際宇宙ステーションに行く費用が20億円と聞いていたので、会社員の生涯賃金では無理だとは思っていましたが、コツコツ投資などしてお金は貯めていたんです」(稲波さん、以下同)
ヴァージン・ギャラクティックの宇宙旅行費用は、その約100分の1の20万ドル(約2,300万円=当時)。学生時代のアルバイト代と投資で貯金をしていた、28歳当時の稲波さんの口座残高で支払える金額だったのです。両親は大反対し、上司は呆れ(後に背中を押し)、友だちは「宇宙の塵になってこい!」とはやし立てるなか、20万ドルを支払って契約。
「そのときには、『3年後に行けますよ』って聞いていたんですけどね(笑)」
それから実に19年の歳月が流れました。
毎年少しずつ行けそうな気になる19年
まずここで、稲波さんが参加する予定の宇宙旅行について簡単に説明しておきましょう。
アメリカ・ニューメキシコ州にある、ヴァージン・ギャラクティックの宇宙船発着場「スペースポート・アメリカ」から母船となる航空機が離陸。吊り下げられた宇宙船「スペースシップツー」とともに高度約15kmまで上昇し、宇宙船を分離。その後、宇宙船はマッハ3.3の速度で大気圏を突破し、高度約85km近辺に到達。旅客は宇宙空間と無重力の世界を数分間体験し、宇宙船は大気圏に再突入。グライダー飛行で地上に帰還する、という流れ。
ちなみにスペースシップツーが最初の有人滑空飛行試験を行ったのが2010年、スペースポート・アメリカが開港したのが2011年。最初の100人の申し込みから少なくとも5年後の話。なかなか飛べないことに関して、稲波さん、どんなふうに感じていたのでしょうか。
「たとえば毎年クリスマスになると、ヴァージンから何かプレゼントが届くんですよ。でっかい箱で(笑)。最初は宇宙船の模型とか『宇宙旅行者証明書』とか。ヴァージングループ総帥のリチャード・ブランソンの顔が入った巨大ポスターとか」
そうしたアイテムだけでなく、毎年何かしらイベントが行われるそう。
「申し込んだ翌年に『俺のプライベートアイランドに遊びに来いよ』ってリチャード・ブランソンから手紙が来ました。『カリブ海の地上の楽園でめちゃめちゃたのしいよ!』って。『ちなみに費用は1週間で200万円だよ』って。有料なんか! と驚きました(笑)」
それ以降も、宇宙旅行予定者限定のイベントを開催。宇宙船の内装公開や、スペースポートのお披露目などのほか、打ち上げ時や大気圏突入時の重力に耐えるための「重力加速度訓練」や、無重力状態での動きを体感する「ゼロGフライト」といった訓練も含め、年1回程度はヴァージン・ギャラクティック側と会うといいます。
「その会場に行くと、リチャードとかエンジニアとかと話ができるわけです。それで『もうすぐ宇宙に行けますから』なんていわれて。そういうイベントを1個こなしていくごとに、宇宙に向けて一歩進んだ感じがするんですよね。あと、リモート会議なんかはもっと頻繁に、毎日のようにやってますね。体調の話とか新しい機体の話とか、今朝も4時から話してきました」
待つ秘訣は「宇宙と仕事と家庭」の両立
また、2005年の最初の募集で申し込んだ100人は「ファウンダー」と呼ばれ、特別なコミュニティが生成されているといいます。多くは、というより、ほとんど稲波さん以外の全員が、経営者や悠々自適のリタイア組、ハリウッドスターなどなど世界のセレブリティたち。
「立場は違えど、みんなで20年待ってるわけですからね。2014年には開発中の宇宙船が爆発してテストパイロットが亡くなるという事故もあったんですが、むしろ結束が高まった気がしました。リスクがあるのは承知のうえ、それでも思いをずっと同じくして、がんばって乗り越えていこうという仲間たちですから」
ただ、中には途中で辞退する人もいるとのこと。それは決して本人の思いだけで継続できるものではないと、稲波さんは告白してくれるのでした。
まずは主催者側との関係。ピンポイントの日時指定で会合が開かれたり、それがかなり遠方のイベントだったり、なかなか予定を調整することが難しい場合も多いのだとか。
「で、そういう会合に行こうとすると、奥さんにいわれたりするわけです。『宇宙と仕事と家庭のどれが大事なの?』って(笑)。仕事と家庭だけじゃなくて宇宙も成立させる難易度がすごく高い。たぶんそれができない人が辞退していきますよね。
私自身は、“家庭と宇宙”を絡めてクリアしてきました。たとえば新婚旅行先がヴァージンのイベントとか。娘を連れてリチャード・ブランソンの島に行くとか。あと、奥さんも仕事をしているので、娘たちの食事を私が作ったりもしています」
ちなみに奥さんとの出会いも、宇宙関係のイベントだったのだそう。
19年間で大きく変わった人生とビジョン
そんなふうに、稲波さんの人生は、2005年に宇宙旅行の権利を手にして以降、大きく変わりました。結婚や子育てしかり、エンジニアからコンサルへの転職しかり、さらには宇宙ベンチャーの設立しかり。
「“仕事と宇宙”も、今では両立できるように生活を変化させました。サラリーマンをやめて、2022年には自分で宇宙事業の会社INAMI Space Laboratoryを設立しました」
会社の設立には、宇宙旅行予定者としての経験が大きく関係しているそう。
「宇宙旅行予定者になって以降、宇宙に向けてのメディカルチェックを定期的に受けて、ヴァージンの医療チームともよく話をしてきました。その中で、宇宙医療の知見が溜まってきたんです。
2040年には月面に人口1,000人規模の街がつくられる計画があると聞いています。それで1万人程度の人が月と行き来するようになる。その際、そこには一定数持病を持つ人もいるでしょう。私のような義足の障がい者もそうです。そうした方が臆せず宇宙に行けるよう、医療の面からも宇宙事業をサポートしたいと考えています」
目指しているのは、多くの人々に「宇宙をより身近な自分ごととして捉えてもらえること」。稲波さんの「月の街での宇宙医療」は、まだまだ遠い話のようにきこえるかもしれませんが、そのほかにも、たとえば月面にデータを送る事業も行うといいます。
「アメリカのベンチャーと提携して、月に企業のロゴとかを送るサービスをやります。データを入れたSDカードをロケットで月に送るんですよ。で、そのサービスを使う方にとっては、そのロケットの打ち上げは“自分ごと”になりますよね? 関心を持って体験すれば、遠かった月も身近に感じるようになるはずなんですよ。
私自身、宇宙旅行に申し込んでから宇宙がすごく身近になりました。以前の宇宙は、完全に訓練された超エリート宇宙飛行士の方だけが行ける世界でした。それが今や、義足の私が行けるようになっている。民間の宇宙旅行だからこそ、障がい者でも宇宙に行ける。
こうした試みを日本から発信できることって、世界的に見ても面白いんじゃないかな」
もちろん、未知の世界の旅立ちには危険はつきもの。稲波さんは力強く頷きます。
「だから、私たちのような冒険者を保険という仕組みが後押ししてくれるんですよね。保険があるからこそ、いつの時代もリスクを冒していろんなチャレンジができてきたと思うんです。
今後、宇宙旅行に保険はなくてはならないものになるんじゃないかな。民間人が当たり前に宇宙に行く時代を迎えるには、宇宙旅行向けの保険もますます拡充されるといいですね」
まもなく秒読み(?)後は心して待つのみ
といいつつ、宇宙旅行はとにもかくにも純粋なレジャーだと稲波さん。
「私の人生の約半分が“宇宙旅行待ち”みたいな状態で、“もうすぐ行けるよ!”っていうワクワク感を持ったまま生活してきているので、いわば遠足の前日が19年続いてるような印象なんですよね(笑)。
私自身そうなんですが、ファウンダーの100人も自分たちの好きなことをやろうと生き生き活動している人たちばかりなので、みんな若返ってる気がします」
そうして、2023年夏以降、最初の100人から実際に宇宙に旅立つ人たちが出始めています。一方で、この19年の間に、宇宙旅行予定者の数は1,000を超えました。“初期メン”として、体験の特別さが薄れることは寂しくないのでしょうか。
「むしろもっともっとみんなで行けるようになればいいと思います。今は宇宙に行くことが目標なんですが、行った後はまた絶対行きたくなるといいますし、2度目に行くと印象が全然違うらしいんですよ。だから、宇宙に行くことがまったく珍しくなくなるような世界になればいいと思います」
今、稲波さんが持っているチケットは「42/1000」番目。早ければ2026年に出発できるかもしれないそう。今度こそ、いよいよなのです。
「ホントどうしようかな。あっという間だと思うんですよ。おそらく人生の中でも特別な数分。もっとも貴重な時間になるはずなので、何をしようか……たぶん直前まで決まらない気がします。宇宙から生の宇宙を見たいし、地球も見たい。
たとえば宇宙飛行士だったら絶対できないお酒を飲んだりとか。酔っ払って宇宙に行くなんて民間ならではでしょ(笑)。あと、心拍数とか体温を測れるようなデバイスも持って行きたいし……」
まさにワクワクを体現する稲波さん。ですが、さすがに19年待機した宇宙旅行予定者のベテランです。最後にクッと唇を結んでいいました。
「本当にもう秒読み段階になってきているのですが、宇宙って近づけば近づくほど遠のくものだと思います。時期がきたら必ず宇宙に行けます。だから慌てることなくしっかりと準備をして、落ち着いて日常生活を楽しみながら待ちたいと思います」