宇宙に行く乗り物といえば、誰もがロケットを思い浮かべるでしょう。しかし、宇宙機開発ベンチャーのPDエアロスペースがつくっているのは、なんと宇宙に行ける旅客機! この機体を使って将来的には「1人39万8,000円で行ける宇宙旅行」を目指すといいます。海外旅行並みの価格で宇宙旅行ができるなんて夢のようですが、そもそもなぜロケットではなく宇宙飛行機なのでしょうか。PDエアロスペースの社長・緒川修治さんに話を聞きました。

●話を聞いた人

画像: 39万8千円で宇宙旅行を目指せ! PDエアロスペースの宇宙飛行機の挑戦

PDエアロスペース株式会社
代表取締役社長 緒川修治さん

PDエアロスペース株式会社・代表取締役社長。福井大学工学部機械科卒業、東北大学大学院 工学研究科 航空宇宙工学専攻修了。三菱重工で新型航空機開発、アイシン精機で自動車エンジン部品開発を経て、2007年に1人で宇宙飛行機開発ベンチャーを起業。現在は独自技術のジェット・ロケット切替エンジンを搭載した宇宙飛行機や宇宙港の開発にあたっている。

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ロケット×ジェット機! 宇宙旅行が身近になるハイブリット型宇宙飛行機

画像: PDエアロスペースが開発している宇宙飛行機のイメージ 提供:PDエアロスペース/KOIKE TERUMASA DESIGN AND AEROSPACE

PDエアロスペースが開発している宇宙飛行機のイメージ 
提供:PDエアロスペース/KOIKE TERUMASA DESIGN AND AEROSPACE

SpaceMate編集部「宇宙に行ける『翼がある機体』というと、ひと昔前まで運用されていたスペースシャトルを思い出します。しかし、PDエアロスペースが開発する宇宙飛行機は見た目がスペースシャトルではなく、まるで飛行機のようですよね。どういった違いがあるんでしょうか」

緒川さん「スペースシャトルは打上げ時はロケットです。また、宇宙から戻ってくるときは動力のないグライダー(滑空)状態なので、着陸をやり直す着陸復行(※)も上空待機もできません。一発勝負のため専用の着陸場が必要でした。しかし、私たちが開発中の宇宙飛行機は、特別な打上げ設備が必要なく、自力で滑走・飛行できるので、一般の空港で離発着することが可能です

※:飛行機が空港への着陸を断念し、再び上昇すること。別名、ゴーアラウンド。

SpaceMate編集部「打上げ方法がまったく違いますね」

緒川さん「はい。さらに、私たちの宇宙飛行機の最大の特徴は、『ジェット燃焼モード』と『ロケット燃焼モード』という2つの燃焼モードをもち、ジェット推進からロケット推進、ロケット推進からジェット推進へと切り替えられる『燃焼モード切替エンジン』を用いることです」

SpaceMate編集部「ちょっと待ってください! そもそもジェットエンジン(推進)とロケットエンジン(推進)って、何が違うんですか?」

緒川さん「そもそもエンジンは、燃料を燃焼させて推進力や力を発生させるものですが、この燃焼というのは酸素と燃料の化学反応(熱と光を伴った激しい酸化現象)のことです。このとき、酸素をどこから持って来るか? が問題となります。

ジェットエンジンは大気のある空間を飛ぶので、大気中の酸素を使えます。一方、高度15km以上の酸素の薄い、あるいはほとんどない空間を飛ぶロケットのエンジンは、酸素のもととなる酸化剤を積んで飛び、それを燃料と反応させ燃焼させることで前に進みます」

画像: PDエアロスペースにある燃焼実験室。新型エンジンの開発はここで行われています。

PDエアロスペースにある燃焼実験室。新型エンジンの開発はここで行われています。

SpaceMate編集部「なるほど。ジェットエンジンは大気中の酸素を使って燃料を燃やし、ロケットエンジンは自分に搭載している酸素(酸化剤)を使って燃料を燃やすんですね」

画像: ジェットエンジンとロケットエンジンの違い。

ジェットエンジンとロケットエンジンの違い。

緒川さん「そうです。ジェットエンジンとロケットエンジンの2つを使って宇宙に行くアイデアは、いくつかあります。その1つは、スケールド・コンポジッツの創業者バート・ルータン氏が取り組んでいる『空中分離方式』です。ジェットエンジンで飛行する母機に、ロケットエンジンを搭載した子機をぶら下げ、高高度で子機を分離、宇宙に到達させるものです。彼の技術は、ヴァージン・ギャラクティック社(アメリカの宇宙旅行関連企業)に受け継がれ、宇宙旅行の先駆けとなっています」

SpaceMate編集部「ヴァージン・ギャラクティックは有名ですよね。サブオービタル飛行の宇宙旅行を販売していますし」

緒川さん「そうですよね。すでに商用化している技術です。しかし、『空中分離方式』は既存技術で実現できる反面、いくつかの課題があります。その1つが、スペースシャトルと同じ、地球に帰還して着陸する際、グライダー(滑空)となってしまうことです。この大きな課題を解決する必要があります」

SpaceMate編集部「それが先ほど出てきた、ジェットモードとロケットモードの2つを切り替えるというお話ですね」

緒川さん「そのとおりです。私たちの宇宙飛行機は2つを分離せず、宇宙空間も大気中も1つの機体で飛行環境によって燃焼モードを切り替えます。地球へ帰還して、空港へ着陸するときは、ジェットモードで着陸することができます」

画像: PDエアロスペースが考えるサブオービタル飛行。 提供:PDエアロスペース

PDエアロスペースが考えるサブオービタル飛行。
提供:PDエアロスペース

SpaceMate編集部「すごい! 画期的なエンジンですね」

緒川さん「スペースシャトルや『空中分離方式』は、打上げ設備や専用の着陸場が必要になります。その分のコストが旅行代金に含まれることになります。しかし、弊社の機体なら、普通の旅客機に混ざって一般の空港で離発着できます。つまり、海外旅行に出かけるように、一般の空港から宇宙に行くことが可能になる。『燃焼モード切替エンジン』によって、宇宙への行きやすさが一気に変わるのです」

宇宙飛行機の開発は父親の影響。受け継がれる発明家の血

画像: お父さまが実験室として使っていたスペース。緒川さんも起業時は、ここで工作と実験をしていました。 提供:PDエアロスペース

お父さまが実験室として使っていたスペース。緒川さんも起業時は、ここで工作と実験をしていました。
提供:PDエアロスペース

SpaceMate編集部「緒川さんのお話を聞いているとそれほど難しいことをやっているように感じないんですが、実際には宇宙飛行機の開発って、気が遠くなるほど時間のかかる大変な仕事のはずですよね。そもそも、なぜ宇宙飛行機をつくろうと思ったんですか?」

緒川さん「きっかけは、いくつかありますが、その1つとして大きかったのは父親です。私の父は“街の発明家”みたいな人で、廃棄される化学薬品の分解をして使えるようにしたり、温度自動調整機、現代でいうクーラーを自作して科学展で特賞を獲ったり、企業から頼まれて新しい"おもちゃ"を考案していたんです。家の中にはいつも発明品や機械などがゴロゴロ転がっていました。特許も自分で出願していましたよ」

画像: 名古屋空港にて(左から緒川さん、弟さん、お父さま)。 提供:PDエアロスペース

名古屋空港にて(左から緒川さん、弟さん、お父さま)。
提供:PDエアロスペース

SaceMate編集部「街の発明家…まるで故ドクター中松氏ですね」

緒川さん「本当にそんな感じです。戦後の復興期は貧しかったので、ない物は自分で何とかするしかなかったようです。父は周りの友達が花火をしているのを見て、大学の先生に手紙を書き、薬品の調合方法を教えて貰って花火を自作したそうです。花火というのは火薬そのもので、固体ロケットの原料です。やがて、父は自宅でロケットやジェットエンジンの実験をするようになりました」

夢はパイロットから宇宙飛行士、そして宇宙飛行機開発へ。

画像: 夢はパイロットから宇宙飛行士、そして宇宙飛行機開発へ。

SpaceMate編集部「小さいときからそんな環境で育ったら、ロケットに興味を抱くのは自然な成り行きかもしれませんね」

緒川さん「そうです。私も幼少の頃から実験室が遊び場で、父の実験を手伝っていました。『世の中にない物は、自分で創ればいい』という考え方になったのは、この環境だったからだと思います。でも、最初は開発者ではなくパイロットになりたかったんですよ。男の子ってパイロットやレーサーに憧れるじゃないですか。大学を卒業するまで、ずっとパイロットを目指していました。戦闘機も、民間機も、コミュータ機もありとあらゆるものを受けましたが、全部ダメでした。結局パイロットにはなれなくて、でも、航空の世界から離れたくない。そこで航空機をつくる側に携わることになりました」

SpaceMate編集部「飛行機パイロットは厳しい世界ですよね…。航空機開発の仕事をされ始めて、そのまま開発者の道に行かれたのでしょうか?」

緒川さん「いえ、まだパイロットの道を粘ります。航空機開発をしているときに、宇宙飛行士の一般募集が始まりました。若田光一さんが宇宙飛行士になったころです。宇宙飛行士の訓練課程で飛行機の操縦訓練もあることを知って、私も応募しました。でも、二度受けて、二度とも不合格でした」

SpaceMate編集部「やっぱり宇宙飛行士って超難関なんですね」

緒川さん「当時は宇宙飛行士の応募書類に、海外で発表した論文が必要だったんですが、私にはそのような学術的バックグラウンドがなかったんですね。そして、もう1つ、日本の航空機産業においてエンジン技術が足りないことを痛感していました。この先、日本が航空宇宙分野で世界に勝つには、とくに、超音速で飛行する為のエンジン技術が必要であると考えに至りました。そこで、これらの知識と経験をえるために、会社を退職して、大学院の受験をし、東北大学で超音速ジェットエンジンの研究に取り組みました」

SpaceMate編集部「それもなかなか思い切った決断です」

緒川さん「当時、私は28歳。パイロットの応募資格は26〜27歳でもう道は閉ざされていました。一方、宇宙飛行士の年齢制限は40歳でした。ただ、40歳までといえど、若いことに越したことはないだろうからと考え、35歳が自身の制限として最後の挑戦でした。ただ、結果的には、大学院で研究したことが、後の『燃焼モード切替エンジン』のアイデアにつながっていきます。が、それはもう少し先の話です」

画像: 2005年、緒川さんが35歳のときに参加したJAXA有人閉鎖環境実験の様子。 提供:PDエアロスペース

2005年、緒川さんが35歳のときに参加したJAXA有人閉鎖環境実験の様子。
提供:PDエアロスペース

SpaceMate編集部「じゃあ、そこから開発者の道に?」

緒川さん「いえ、紆余曲折はまだ続きます(笑)。大学院修了後は地元の名古屋に帰ってトヨタ系企業で働きながら父親の発明を手伝い、つぎの宇宙飛行士の募集を待っていました。そんなときに飛び込んできたのが、2003年2月のスペースシャトル『コロンビア号』の空中分解事故映像のニュースです。NASAはもちろん、国内の宇宙開発もストップされ、私は夢を絶たれることになってしまいました」

SpaceMate編集部「あの映像は衝撃的だったと聞いています。大学院修了が30歳前後なら、本来はもう何回かチャンスがあったはずですよね」

緒川さん「はい。当時私は33歳。自身で決めた期限まで、あと2年の出来事でした。しかし、そんな中、コロンビア号の事故と前後して『Ansari X-Prize』が始まりました。宇宙船に3人が乗り、高度100kmまで飛行、2週間以内に同じ条件でもう一度飛行を成功させると賞金1,000万ドル(10億円)がもらえるという、民間による最初の有人弾道宇宙旅行を競った国際賞金レースです。期限は2004年12月まででした。

私がトヨタ系企業で働いていたとき、それを達成したチームが現れたんです。それがバート・ルータン率いるスケールド・コンポジッツ、当時は従業員50人にも満たない小さな会社でした」

画像: スケールド・コンポジッツが開発した世界初の民間企業による「空中分離方式」の有人宇宙飛行を実現したスペースシップワン。 画像:iStock.com/Vipre77

スケールド・コンポジッツが開発した世界初の民間企業による「空中分離方式」の有人宇宙飛行を実現したスペースシップワン。
画像:iStock.com/Vipre77

SpaceMate編集部「国が開発していたことを、民間企業が成し遂げたんですね」

緒川さん「そうです。そんなちっぽけな会社が独自のアイデアで宇宙に行ける機会をつくり出したことが私には衝撃的でした。飛行機のパイロットも、宇宙飛行士も、選ばれるのを待っている状態でしたが、彼らは自分らで行けるようにしてしまった。もう選ばれるのを『待つ時代ではなく、自分らで行く』時代になったんだと、思いました。

私にも自宅に実験室という開発環境があったし、大学院時代にひらめいたジェットエンジンとロケットエンジンを切り替えるアイデアがあります。これをもとに新しい宇宙輸送機をつくれば、安く安全に多くの人を宇宙へ連れて行ける、アメリカの会社にも勝つことが出来る、と思いました。

スケールド・コンポジッツが偉業達成したニュースを、会社の仲間10人ぐらいと昼ご飯を食べながら見ていました。そこで、『環境もアイデアもある。ここには色んな部署の人がいる。みんなでロケットをつくらないか』と提案したんです。が、誰も『やる』と返事してくれない。じゃあ、もういい。僕は、1人でもやると。そうして設立したのが、このPDエアロスペースで、2007年、37歳のことです」

40万円で宇宙へ行ける時代も! 宇宙飛行機が叶える格安の宇宙旅行

SpaceMate編集部「緒川さんが1人で会社を立ち上げてから約17年。その間に宇宙ビジネスは進化し、大金持ちであれば民間人でも宇宙旅行に行くことのできる時代になっていますよね」

緒川さん「はい。最初、宇宙飛行士は軍人だけでした。それが一般公募になり、ついには大金持ちに限定されるとはいえ、宇宙飛行士でもない民間人が宇宙に行けるようになりました。

ただ、まだ現在は、サブオービタル旅行(一瞬、宇宙へ行って戻ってくる飛行)でも1人数千万円、家族で行けば億単位の費用がかかります。そんな宇宙旅行ではなく、一般庶民でも行ける価格『39万8,000円』の宇宙旅行を目指して宇宙飛行機を開発しています

SpaceMate編集部「現在のサブオービタル旅行の1人数千万円の費用とは、とんでもない落差がありますよね」

緒川さん「そうです。僕を含めた庶民が出せる金額での最高額の水準は、ヨーロッパ旅行じゃないかな、と考えました。ヨーロッパ旅行のパンフレットを見ると、1週間の旅行代金が39万1,000円とありました。宇宙旅行もそれぐらい費用を下げないと、家族で行こうとはならない。とんでもない価格低減ですが、まず金額の設定をして、それをどのように実現させるのかを考えるようにしています」

SpaceMate編集部「そこに向けてカギを握るのが、いま開発なさっている宇宙飛行機であり、切替エンジンなんですね」

緒川さん「はい。切替エンジンの宇宙飛行機で、通常の旅客機のように飛行し、通常の空港をそのまま使えるようになり、安く安全なしくみができれば、多くの人を運べるようになり、価格を大幅に下げることができるようになります

2045年が目標! まずは旅行代金「100万円」を切る宇宙旅行を目指す

画像: 2045年が目標! まずは旅行代金「100万円」を切る宇宙旅行を目指す

SpaceMate編集部「40万円を切る宇宙旅行は少し先のお話だと思いますが、現時点ではいかがでしょうか」

緒川さん「現時点は、技術開発の段階にあり、まだ宇宙に到達すらしていません。まずは、2027年に無人機での飛行達成。そして2030年に6名乗りの有人機で飛行達成を目指します。この時点では、先行する宇宙旅行会社の7割ぐらいの金額でサービス開始する計画です。それでも、まだ数千万円ですので、裕福層向けのサービスとなります。そこから、まず100万円を切ることを目標にします」

SpaceMate編集部「それは具体的にいつごろ実現しますか?」

緒川さん「いろいろな課題をクリアする必要があるものの、私が政府に提出した資料では、2040年以降に70人乗りの宇宙飛行機で宇宙を高頻度往還するとしています。そうすると、2045年ごろに旅行代金が100万円を切る宇宙旅行が実現するはずです

SpaceMate編集部「約20年なら、そこまで遠い話ではないですね。もっと先の話だと思っていました」

緒川さん「長生きしてください(笑)。私たちの宇宙飛行機の開発状況は、公式サイトやFacebookなどSNSで随時発信していますので、それをチェックしながら、実現する日を楽しみにしていただければと思います。とっておきのアイデアも準備中です。楽しみにしていてください」

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