人類初の月面着陸を成し遂げたアポロ計画。しかし、昔から「月面着陸はフェイクでは?」という疑いが一部でささやかれ、そのウワサをテーマにした映画や本なども存在します。そこでこの記事では、そんなアポロ計画の真実の歴史と、科学的に証明された月面着陸の事実を解説します。

「アポロ計画」の月面着陸は嘘?疑惑の根拠を解説

そもそも、アポロ計画の月面着陸成功を疑う人がいるのは、なぜなのでしょうか。ここでは月面着陸にまつわる疑惑の根拠、そしてその疑惑に対する科学的な回答を紹介します。

ウワサその①風がない月で旗がなびく?

画像: 宇宙飛行士のエドウィン・オルドリン氏と旗の写真 画像提供:NASA Image and Video Library

宇宙飛行士のエドウィン・オルドリン氏と旗の写真
画像提供:NASA Image and Video Library

アポロ11号で月面着陸した際、宇宙飛行士が星条旗を月面に立てたシーンはとても有名です。当時を知らない世代でも、写真や映像で見たことがあるでしょう。

しかし、このシーンが「月面着陸は嘘だ」と主張する理由の1つになっていました1)。旗がなびいて見えるため、「空気がない月で旗がなびくのはおかしい。地上で撮影したに違いない」と考える人がいたのです。

しかし、これは誤解です。元NASA主任歴史学者のロジャー・D・ローニアス氏によれば、旗がなびいて見えるのは、宇宙飛行士が旗を立てる際に動かしたためと解説されています。つまり風ではなく、旗の動きがそのまま残っただけなのです。

ウワサその②影の向きが変?

画像: 宇宙飛行士エドウィン・オルドリン氏が月着陸船から月面に降りる写真 画像提供:NASA Image and Video Library

宇宙飛行士エドウィン・オルドリン氏が月着陸船から月面に降りる写真
画像提供:NASA Image and Video Library

月面着陸が嘘だと疑われるもう1つの理由は「影」です。月面着陸の成功を疑う人は、公表された月面着陸の写真の中に「影の向きがおかしい」ものがあると考えたのです。

有名なのが、宇宙飛行士が宇宙船から降りる瞬間の写真です。宇宙船の影があるのに、宇宙飛行士には影がかかっていないと主張する人が一部いました。

しかし、この疑いも晴れています。2014年、世界的半導体メーカーNVIDIA社が、光の当たり方をコンピューターで再現する検証を行いました2)。その結果、再現した光と陰影が写真と一致し、捏造ではないことが証明されたのです。

このように、「月面着陸」は真実だったのです。

【コラム】月面着陸にまつわる疑惑がテーマの映画も…?

月面着陸に対する疑念や誤解は、映画や本の題材として取り上げられてきました。1970年代から日本でも検証番組がたびたび放送されています。2024年には映画「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」が公開3)。主演はスカーレット・ヨハンソン氏、NASAも全面協力の大作です。月面着陸のフェイク映像を撮影する極秘ミッションを描いたコメディで、ウワサそのものを楽しむエンタメになっています。

「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」は各種配信サービスで視聴できます。興味がある方はぜひチェックしてみてくださいね。

「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」は各種配信サービスで視聴できます。興味がある方はぜひチェックしてみてくださいね。

そもそもアポロ計画とは?

月面着陸が事実であることがわかったところで、改めてアポロ計画の目的や背景、そして数々の成果を振り返っていきましょう。

アポロ計画の発端はロシアとの宇宙開発競争

画像: アメリカ大統領のジョン・F・ケネディ氏のスピーチの一部が刻まれた記念碑 画像:iStock.com/JillianCain

アメリカ大統領のジョン・F・ケネディ氏のスピーチの一部が刻まれた記念碑
画像:iStock.com/JillianCain

アポロ計画が生まれた背景には、冷戦時代のアメリカと旧ソ連の宇宙開発競争があります4)5)。1950年代、両国は宇宙の覇権をかけて競争を繰り広げていました。

そして1961年5月、当時のアメリカ大統領のジョン・F・ケネディ氏が「1960年代が終わるまでに人類を月へ送り、無事帰還させる」と宣言。このスピーチがアポロ計画のスタートとなりました。翌年の演説でケネディ氏は、「We choose to go to the moon(我々は、月に行くことを決めました)」と力強く宣言。その言葉は、今もケネディ・スペース・センターの記念碑に刻まれています。

アポロ計画の目的

アポロ計画の主な目的は、ソ連に対する宇宙開発競争での優位性を示すことでした。ケネディ大統領が「1960年代が終わるまでに月へ」と宣言したわずか1カ月前、ソ連はユーリー・ガガーリン氏を乗せたボストーク1号で世界初の有人宇宙飛行に成功。これに対抗するには、「月に行くしかない!」という強い決意が、アメリカ全体を突き動かしたのです。

ちなみに、アポロ計画という名前は、ギリシャ神話の太陽神アポロンに由来します。当時のNASA長官エイブ・シルバースタインが、神話の中で黄金の馬車に乗って大空を駆けるアポロンの姿にインスピレーションを受けて名付けました。

アポロ計画のスケジュール

画像: アポロ計画のスケジュール

1969年、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功し、ケネディ大統領が掲げた「1960年代のうちに月へ」という約束は見事に果たされました。しかし、その道のりは決して平坦ではなく、数々の挑戦とドラマがありました。

アポロ11号の成功後も、月面探査のミッションは続き、最終的にアポロ17号まで打上げが行われました。ここでは、アポロ計画の主要なミッションをピックアップして紹介します。

アポロ1号:打上げ中止(1967年1月27日)

画像: アポロ1号のエンブレム。地球低軌道を目指す宇宙船の姿があります 画像提供:NASA Image and Video Library

アポロ1号のエンブレム。地球低軌道を目指す宇宙船の姿があります
画像提供:NASA Image and Video Library

アポロ計画最初の有人飛行は、地球低軌道を目指す予定でした。しかし、1967年1月27日のテスト中に火災が発生し、宇宙飛行士3人が亡くなる事故に6)。これにより、計画は大幅に見直され、2号と3号は打上げ中止、4号から6号は無人飛行となりました。

アポロ7号:打上げ日(1968年10月11日)

画像: アポロ7号のエンブレム。地球低軌道を飛行する宇宙船が描かれています 画像提供:NASA Image and Video Library

アポロ7号のエンブレム。地球低軌道を飛行する宇宙船が描かれています
画像提供:NASA Image and Video Library

アポロ1号の事故を乗り越え、有人宇宙飛行が再開したのがアポロ7号です。地球低軌道を飛行し、アポロ計画として初の有人飛行に成功しました。

さらに、宇宙飛行士が宇宙空間からの生中継に出演し、地球の人々に宇宙の様子を届けました。約11日間のミッションを終え、3人の宇宙飛行士は無事に地上に帰還しました7)

アポロ8号:打上げ日(1968年12月21日)

アポロ7号の成功からわずか2カ月後、アポロ8号が打上げられました。初めて月周回軌道に突入し、月面着陸の準備として着陸候補地の選定や写真撮影を行いました8)

このあと、アポロ9号、アポロ10号とテストが続き、いよいよ月面着陸への準備が整っていきます。

アポロ11号:打上げ日(1969年7月16日)

画像: アポロ11号のエンブレム。月面に降り立つオリーブの枝を持つ鷲が描かれています 画像提供:NASA Image and Video Library

アポロ11号のエンブレム。月面に降り立つオリーブの枝を持つ鷲が描かれています
画像提供:NASA Image and Video Library

1969年7月20日、アポロ11号はついに月面着陸に成功。ニール・アームストロング船長が月に降り立ちました9)。アームストロング船長の「これは1人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍だ」という言葉は、宇宙開発の歴史に残る言葉となりました。

この瞬間は世界中で中継され、約5億3000万人が視聴。クルーは月面で約21時間滞在し、記念碑の設置や月の石の採取を行い、無事に地球に帰還しました。持ち帰った月の石は、日本の国立科学博物館に展示され、今でも見ることができます10)

アポロ13号:打上げ日(1970年4月11日)

画像: アポロ13号のエンブレム。ギリシャ神話の太陽神アポロをモチーフに「Ex luna, scientia(月から、知識を)」という言葉が描かれています 画像提供:NASA Image and Video Library

アポロ13号のエンブレム。ギリシャ神話の太陽神アポロをモチーフに「Ex luna, scientia(月から、知識を)」という言葉が描かれています
画像提供:NASA Image and Video Library

アポロ12号で2度目の月面着陸に成功したあと、3度目のミッションとしてアポロ13号が月を目指しました。しかし、飛行中に酸素タンクが破裂するアクシデントが発生。月面着陸は中止となり、地上の管制チームと連携した救出作戦が展開され、宇宙飛行士たちは無事に地球へ帰還しました。このミッションは「成功した失敗」「栄光ある失敗」と称賛されています11)

ジム・ラヴェル船長がこの経験をまとめた書籍は、のちに映画「アポロ13」としてトム・ハンクス主演で映画化され、大ヒットしました。

アポロ15号:打上げ日(1971年7月26日)

画像: アポロ15号のエンブレム。月面に鳥を表す赤と白と青の線がデザインされています 画像提供:NASA Image and Video Library

アポロ15号のエンブレム。月面に鳥を表す赤と白と青の線がデザインされています
画像提供:NASA Image and Video Library

アポロ15号では、初めて月面移動車(ローバー)が導入されました。デイビッド・スコット船長がローバーに乗り、月面を約28km移動して探査を実施。77kgもの月の石を回収し、多くの写真を撮影しました12)

ローバーの活躍で、探査範囲が大幅に広がり、より多くのデータが得られました。

アポロ17号:打上げ日(1972年12月7日)

画像: アポロ17号のエンブレム 画像提供:NASA Image and Video Library

アポロ17号のエンブレム
画像提供:NASA Image and Video Library

アポロ計画最後の月面着陸となったアポロ17号。このミッションには科学者のハリソン・シュミット氏が搭乗し、月面調査を実施しました。

月面滞在時間は過去最長の75時間。月面移動車で30.5kmを移動し、110kgもの月の石を収集するなど、充実した探査が行われました13)

アポロ計画は当初、アポロ20号まで計画されていましたが、予算削減や社会情勢の変化を理由に中止されました。その後、宇宙開発はスペースシャトルの開発やスカイラブ計画へと移行し、新たな時代を迎えることになります。

そして現在、人類は再び月を目指しています。月探査は多額の予算が必要なため、アポロ計画以降、なかなか実現されませんでした。しかし、民間企業の参入や技術革新が進んだことで、アルテミス計画や民間主導の月探査ミッションが本格化し、月面基地の建設や火星探査への足がかりとして期待されています。

【コラム】アポロ計画以前の宇宙開発計画

アメリカの宇宙開発はアポロ計画より前から始まっています。ここでは、アポロ計画につながる重要な計画を紹介します。

●アポロ計画以前の有人宇宙飛行計画

  • マーキュリー計画(1958~1963年)14)
    目的:アメリカ初の有人宇宙飛行計画。
    成果:地球周回軌道を飛行して、宇宙飛行士と宇宙船の双方を安全に回収することに成功。
  • ジェミニ計画(1961~1966年)15)
    目的:アポロ計画で必要とされる技術の開発・テスト。
    成果:地球周回軌道上で宇宙船の操縦やドッキング、宇宙飛行士の訓練などを実施。

●アポロ計画の準備として行われた無人月探査計画

  • レインジャー計画(1961~1965年)16)
    目的:無人月探査機を使った月面の撮影。
    成果:電波障害によって、月面の画像を正しく送信できず終了。
  • サーベイヤー計画(1966~1968年)17)
    目的:無人月探査機を使った月到達・軟着陸技術の開発・確認、 データ取得など。
    成果:2台のカメラで1万枚以上の月面画像の撮影に成功。
  • ルナ・オービタ計画(1966~1967年)18)
    目的:無人月探査機を使った月面地図の作成。
    成果:月の表側全体と裏側の撮影に成功したほか、地球全体の写真撮影に初めて成功。

「アポロ計画」を成功に導いたロケットと宇宙船

アポロ計画の歴史で忘れてはならないのは、ロケットと宇宙船の存在です。ここでは、アポロ計画を成功に導いた打上げロケットと、役割の異なる3つのモジュールで構成される宇宙船について紹介します。

「アポロ計画」で使用されたロケット

画像: アポロ11号を打上げるサターンV型ロケット 画像提供:NASA Image and Video Library

アポロ11号を打上げるサターンV型ロケット
画像提供:NASA Image and Video Library

アポロ計画では、NASAが1960年代から70年代にかけて開発したサターンロケットが使用されました19)。ロケットの開発を担当したのは、「ロケットの父」と呼ばれる科学者、ベルナー・フォン・ブラウン氏20)。サターンという名称は、ローマ神話に登場する農業の神「サターン」が由来ですが、1つ前のロケットがジュピター(木星)のため、サターン(土星)と名付けられた説もあるようです。

アポロ計画で使用されたサターンV型ロケットは、高さ111m、重量2,800tという巨大な3段式ロケットです。アポロ11号を含む、アポロ計画のすべての有人飛行で使用されました。その強力な推進力で、人類を月へと送り届けた最初のロケットです。

「アポロ計画」で使用された宇宙船

アポロ宇宙船は、以下の3つのモジュールで構成されています21)22)

〈図〉アポロ宇宙船の構造

画像: 「アポロ計画」で使用された宇宙船

月を周回する「1.司令船(コマンド・モジュール)」と、生命維持装置を積んだ「2.機械船(サービス・モジュール)」が合わさった構造。さらに、司令船の先端には、月面着陸用の「3.月着陸船(ルナー・モジュール)」が合体した状態で宇宙に打上げられます21)22)

●司令船(コマンド・モジュール)
司令船は、3人の宇宙飛行士が搭乗する宇宙船の主要部分です。操縦室と居住空間があり、地球帰還時にはこの部分だけが大気圏に再突入します。ちなみに、円すい形のデザインは、明治の「アポロチョコ」の形のモデルにもなっています23)

●機械船(サービス・モジュール)
機械船は司令船と連結した円筒形のモジュールで、ロケットエンジンや燃料、酸素などを搭載しています。大気圏再突入直前に切り離されて破壊されるため、地球には帰還しません。アポロ13号の事故は、この機械船に積んでいた酸素タンクの爆発が原因でした。

●月着陸船(ルナー・モジュール)
月着陸船は、月面着陸専用のモジュールです。2名の宇宙飛行士が乗り込み、月面での探査を行いました。下降部には、月面に着陸するためのロケットエンジンや科学機器が搭載されています。上昇部には、月面から離陸し、司令船と再ドッキングするためのエンジンが搭載されていました。

「アポロ計画」の月面着陸と帰還方法

ここまではアポロ計画の歴史やロケットについて解説してきました。では、アポロ計画で実際にどのように月に行き、着陸し、地球に帰還したのでしょうか? ここでは、アポロ宇宙船の航路についてわかりやすく紹介します。

アポロ計画の航路は無名の科学者のアイデアが採用

アポロ計画の航路には「月軌道ランデブー」という方法が採用されました。この方法を提案したのはジョン・ハウボルト氏という科学者でした。当初は別案が有力でしたが、ハウボルト氏が熱心に提案し続けたことで月軌道ランデブーが採用されたそうです24)

そう聞くと、ハウボルト氏は影響力の強い人物だったように思えますが、じつはアポロ計画以前は無名の科学者でした。月面着陸の成功により、人生が大きく変わった1人といえるでしょう。

宇宙船に乗って月へ行く方法「月軌道ランデブー」とは?

ハウボルト氏が提案した「月軌道ランデブー」とは、どのような方法だったのでしょうか。具体的な航路を見ていきましょう。

〈図〉ジョン・ハウボルト氏が提案した月軌道ランデブー

画像: 赤い線が往路、緑の線が復路

赤い線が往路、緑の線が復路

【月軌道ランデブーの航路】24)25)

ステップ①サターンV型ロケットで司令船と機械船と月着陸船を打上げる
サターンV型ロケットで宇宙船(司令船、機械船、月着陸船)が打上げられ、3段式ロケットを順番に切り離しながら上昇します。宇宙船は地球の周りを回る円軌道に入りますが、このとき秒速7.9kmという速度が必要です。速度が遅いと、地球の重力に引き戻されてしまいます。

ステップ②司令船と機械船と月着陸船が月へ行く
地球の裏側の円軌道に到達したら、宇宙船だけで月に向かいます。宇宙船のエンジンを点火して、秒速11.1kmまで加速。これにより軌道が楕円形となり、宇宙船は月へ向かいます。宇宙空間には空気抵抗がないため、一度加速して軌道に乗ると、エンジンを切っても速度が落ちず、そのまま月まで飛行できます。

ステップ③月着陸船と宇宙飛行士が月面着陸
月に到達すると、宇宙船から月着陸船だけ分離。月着陸船に乗った宇宙飛行士2人が、月面へ降下して着陸します。

ステップ④司令船と機械船は月軌道を周回して待機
司令船と機械船は月の周回軌道上で待機。ミッションが完了したら、月着陸船は再び司令船と機械船とドッキングします。

ステップ⑤司令船と機械船に月着陸船がドッキング
司令船とドッキングしたあと、宇宙船は地球帰還軌道に入ります。大気圏の手前で機械船と月着陸船を切り離し、司令船だけが大気圏に突入します。

ステップ⑥司令船だけが地球へ帰還
大気圏突入後、司令船はパラシュートを開いて降下し、海に着水して帰還完了です。

「アポロ計画」の成果と科学技術に与えた影響

人類初の月面着陸を成功させたアポロ計画ですが、その功績は単なる月面着陸だけではありません。月に関する新たな発見や、科学技術の進化にも大きな影響を与えました。

持ち帰った石で月の起源が判明

画像: アポロ17号で持ち帰った月の石 画像提供:NASA Image and Video Library

アポロ17号で持ち帰った月の石
画像提供:NASA Image and Video Library

アポロ計画では、月から約350kgもの岩石を持ち帰りました。これらのサンプルと探査データをもとに、月の詳しい解析が行われました。

その結果、月は約45億年前に誕生し、初期は溶岩の海に覆われていたことが判明しました。地殻とマントルが形成され、今のような月の地表ができたのです26)。この手法はその後の探査でも引き継がれ、アルテミス計画でも月のサンプル回収が予定されています。

コンピューターの進化に貢献

アポロ計画では、当時の最先端技術が惜しみなく投入され、とくにコンピューター技術の進化に大きく貢献しました。

IBM社のコンピューターは、約4,000名のエンジニアが開発に携わり、それまで手計算で行っていた軌道計算をリアルタイムで自動計算できるようにしました。これにより、高速なデータ処理が実現し、システム開発が大きく前進しました27)

驚くことに、サターンV型ロケットに搭載されたIBMのコンピューターは、メモリ(RAM)がわずか4KBで、現代のスマートフォン(iPhone16のRAMは8GB)の約200万分の1の容量でした28)。こうした技術開発の積み重ねが、スマートフォンやパソコンの発展につながっているのかもしれません。

「アポロ計画」から「アルテミス計画」へ。人類が再び月へ降り立つ

人類初の月面着陸を成し遂げたアポロ計画。当時はあまりに革新的すぎて、「あの映像は作りものだ」と考えてしまう人がいたほど、想像を超えた出来事でした。あれから約50年。技術は飛躍的に進化し、今、「アルテミス計画」で人類は再び月を目指しています。

今回の月面着陸は、単なる「行って帰る」だけではありません。月面での長期滞在を通じて、さまざまな調査が行われます。その先には、月面基地の建設、月への移住、さらには火星探査といった、さらなるロマンが待っています。アルテミス計画での月面着陸は、2020年代後半に予定されています。アポロ計画をリアルタイムで見た世代も、まだ生まれていなかった世代も、人類が再び月に降り立つ瞬間を楽しみに待ちましょう。

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※この記事の内容は2024年1月20日時点の情報をもとに制作しています

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