宇宙飛行士が語る「宇宙の匂い」

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そもそも、宇宙空間に直接鼻を向けてクンクンと匂いをかぐことはできません。そんなことをしたら、呼吸ができずに生命の危機に陥ることでしょう。ゆえに、宇宙空間にどのような香りが漂っているか、実際に確かめることは困難です。
しかしながら、多くの宇宙飛行士が「宇宙の匂い」の経験談を語っています。宇宙遊泳から戻った宇宙飛行士がヘルメットを脱ぐと、宇宙服にかすかな残り香を感じるのだそう1)。
彼らが間接的に体験した宇宙の匂いとは、どのようなものだったのでしょうか。宇宙飛行士たちのさまざまなエピソードをご紹介します。
金属的な匂い

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JAXA宇宙飛行士の油井亀美也さんは、宇宙で“金属が焦げたような、焼けたような匂い”がしたと話しています2)。
その匂いを感じたのは、国際宇宙ステーション(ISS)と補給機「こうのとり」がドッキングしたあとのこと。ドッキング後にハッチを開けると、接続部から匂いを感じたのだそうです。
宇宙で金属臭を感じたという話は多いようです。この他にも野口聡一さんは“刺激臭のある、独特な金属臭”を、NASA宇宙飛行士・ドナルド・ペティ氏は“溶接ヒューム(※)の匂い”を、船外活動後に感じたと振り返っています3)。
※溶接の際、金属が加熱されることで生じる微細な金属粉じん。
参考資料
2) JAXA「油井宇宙飛行士によるミッション報告」
3) 野口聡一著・2022「宇宙飛行士だから知っている すばらしき宇宙の図鑑」
焦げた食べ物や火薬のような匂い

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JAXA宇宙飛行士の大西卓哉さんは、ISSのドッキング部分の扉を開いた際に“何かが焦げたような独特な匂い”がしたといいます4)。ドッキング部分は宇宙空間に露出していた箇所であり、大西さんはこの時の気持ちを「生まれて初めて宇宙の匂いを嗅ぎました」と表現。
NASAの宇宙飛行士の経験談には、宇宙遊泳後に“焼けた肉”や“焦げたケーキ”、“火薬”の匂いがしたというエピソードも5)。元JAXA宇宙飛行士の山崎直子さんは、“ステーキを焦がしたような、ちょっと焦げた匂い”と回想しています6)。
ラズベリーやラム酒のような匂い

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宇宙はラズベリーの香りがするという話もあります。この説に対しても、山崎直子さんは「ちょっと甘酸っぱい香りがするんです」と肯定しています7)。
このような甘酸っぱい香りを、“ラム酒の匂い”にたとえる宇宙飛行士もいます。ラズベリーやラム酒が発する独特の甘い芳香は「ギ酸エチル」という成分によるもの。宇宙空間にも、このギ酸エチルが存在することがわかっています(後述)。
オゾンの匂い

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アメリカの宇宙飛行士で3回の船外活動経験をもつトーマス・ジョーンズ氏は、宇宙服を脱いだときに「オゾンの匂いがあり、わずかに刺激臭を感じた」と証言8)。
オゾンは青々とした独特の香りを持ち、“高原や森林の匂い”ともたとえられます。自然界に存在する程度であれば“さわやかな匂い”に感じられますが、高濃度になると強い刺激臭を伴うこともあるそうです。
宇宙の匂いの正体とは?

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ここまで、多くの宇宙飛行士によって証言された「宇宙の匂い」を紹介しました。体験談によって匂いの感じ方が異なるのは、嗅覚の個人差だけでなく、匂いのもととなる化学物質の違いにも起因すると考えられます。
では、その正体とはどんなものなのでしょうか? 考えられる化学物質として、多環芳香族炭化水素(PAHs)、ギ酸エチル、酸素原子の3つが挙げられます。それぞれ詳しく解説します。
①宇宙空間に漂う多環芳香族炭化水素(PAHs)

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NASAエイムズ研究センター天体物理学・天体化学研究所で所長を務めたルイス・アラマンドラ氏は、宇宙の匂いは多環芳香族炭化水素(PAHs)によるものであると指摘しています9)。
PAHsは彗星や宇宙塵にも含まれる有機化合物で、宇宙空間で過ごすうちに宇宙飛行士の服に付着していると考えられます。
またPAHsは、地球上では火山活動や化石燃料が燃える際に生成されるほか、食品を調理する過程でも発生し、とくに直火焼きの肉や魚に多く含まれるのだそう10)。宇宙の匂いがよく“焦げた匂い”にたとえられるのは、このためであると言えそうです。
②天の川銀河に存在するギ酸エチル

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地球が所属する銀河系である「天の川銀河」には、ギ酸エチルが存在することがわかっています11)。
前述のとおり、ギ酸エチルはラズベリーやラム酒のほか、パイナップルなどに含まれる成分で、フルーティーな甘い芳香が特徴です。宇宙飛行士の体験した“ラズベリーやラム酒に似た香り”は、宇宙を漂うギ酸エチルによるものだと考えられます。
③宇宙服や機材の表面に付着した酸素原子がオゾンに変化
宇宙空間には酸素原子が単体で漂っています。宇宙服に付着した酸素原子が、宇宙船内で加圧されることで化学反応を起こし、匂いが発生している可能性があるそうです。具体的には、酸素原子(O)が宇宙船内の酸素(O2)と結びつき、オゾン(O3)が生成されるという流れ12)。前述で解説したとおり、オゾンはその濃度によってさまざまな匂いを発生させます。

④その他:宇宙空間由来ではない匂いの可能性も
油井亀美也さんによると、宇宙空間では激しい温度変化がおこっているとのこと2)。その結果、宇宙船やISSに付随する機材が焼け、金属が焦げたような匂いを発生させている可能性もあるでしょう。
〈宇宙飛行士が体験した匂いの種類と、考えられる要因〉
匂いの種類 | 考えられる要因 |
---|---|
金属的な匂い | ③酸素原子由来のオゾン ④その他 |
焦げた食べ物や火薬のような匂い | ①多環芳香族炭化水素(PAHs) |
ラズベリーのような匂い ラム酒のような匂い | ②ギ酸エチル |
オゾンの匂い | ③酸素原子由来のオゾン |
【コラム】将来の宇宙旅行に向けて「匂いのデザイン」にも注目
「宇宙の匂い」といえば、宇宙飛行士が滞在するISSでの「生活臭」も見逃せない話題です。
宇宙滞在中は、閉め切られた空間での生活が続きます。ISS内の空気を循環させるなど、可能な限り生活臭対策がされていますが、閉鎖空間ではどうしても限界があるようです。山崎直子さんは、ISS内部の匂いを“閉めきっていた部室のようなモワッとした匂い”と表現しています13)。
画像提供:ライオン株式会社
そんな宇宙生活をより快適にするため、「嫌な匂い」を制するアイデアも登場しています。それが、ライオン株式会社が開発した「relaXspace A(リラックスペースエー)」14)です。スティックタイプの香りアイテムで、肌に馴染ませることで気になるニオイを低減したり、心身をリフレッシュさせたりする効果が期待できます。2025年以降、実際にISSに持ち込まれる予定とのこと。
relaXspace AはJAXAが企画した「第2回 宇宙生活/地上生活に共通する課題を解決する生活用品アイデア募集」をきっかけに開発されました。この企画は宇宙飛行士のみならず、将来の宇宙旅行者向けの生活用品の提供を目指したものです。やがてくる宇宙旅行・宇宙生活の時代に向けて、QOL(クオリティ・オブ・ライフ:生活の質)を向上させる「匂いのデザイン」にも要注目です。
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いつかは感じてみたい!? 宇宙の匂いに思いを馳せて
匂いのもとは、さまざまな化学物質です。宇宙に匂いがあるということは、絶えず化学反応が起きているということ。それは数えきれないほど長い時間、星々の営みが続いてきたことを意味します。宇宙の匂いというユニークなテーマを通して、その壮大なスケールに思いを馳せてはいかがでしょうか。いつかはその匂いを、実際に体験してみたいものですね。
※この記事の内容は、2025年3月3日時点の情報をもとに制作しています